・「所得800万円で法人化」という一般論は、美容業ではそのまま使えません。
・個人事業の理容・美容業は社会保険の非適用業種。法人にした瞬間に健康保険・厚生年金が強制適用になります(厚生労働省・日本年金機構)。
・インボイス登録済みなら、法人成りによる消費税の免税メリットは基本的に消えています(国税庁 No.6531)。
面談の終わりぎわに、ふっと出てくる質問があります。「先生、そろそろ法人にしたほうがいいんでしょうか」。
出どころはたいてい同じです。同業の集まりで誰かが言っていた。ネットに「所得800万円を超えたら法人化」と書いてあった。ディーラーの営業さんに勧められた。数字だけが先に走っていて、その前提は誰も説明してくれていません。
私はいつも、その数字をいったん横に置いてもらいます。
こんにちは。杉並区で美容業専門の税理士事務所をやっている清水智佳子です。今日は、美容室やサロンの法人化を考えるときに、いちばん先に見るべき論点である社会保険の話をします。
よくある質問
- Q. 所得が800万円を超えたら法人化すべきですか。
- A. 一概には言えません。美容業は個人事業だと社会保険の非適用業種にあたるため、法人化すると健康保険・厚生年金が強制適用になります。この負担増が税の削減分を上回ることもあり、金額だけで分岐点を示すことは私にはできません。
- Q. 法人にすると、社長一人でも社会保険に入るのですか。
- A. はい。法人は事業主一人でも強制適用です(日本年金機構)。一方、個人事業所の理容・美容業は非適用業種のため、常時5人以上を使用していても任意加入の扱いになります(厚生労働省「個人事業所に係る適用範囲の在り方について」)。
- Q. 法人にすれば2年間は消費税が免税になるのでは。
- A. インボイス登録をしていない場合の話です。インボイス発行事業者として登録すると、基準期間の課税売上高にかかわらず納税義務は免除されません(国税庁 No.6531)。
「所得800万円」という数字が、そのままでは使えない理由
この数字は、根拠のない噂ではありません。個人の所得税は5%から45%の累進、住民税が10%。これに個人事業税が乗ります。美容業は第三種事業で税率5%、事業主控除290万円を引いた残りが対象です。
対して法人税は、中小法人なら年800万円以下の部分が15%、超えた部分が23.2%(国税庁 No.5759)。上がり続ける個人と、途中で頭打ちになる法人。どこかで逆転する。「800万円」は、だいたいこの構造から出てきた数字です。
ここまでなら、業種は関係ありません。問題は、この比較に入っていないものが多すぎることです。
個人と法人、比べるものを並べてみる
片方だけを見ないこと。増えるものと減るものを、同じ紙の上に並べます。
法人化で軽くなりうるもの
役員報酬を出せば給与所得控除が使えます。所得を配偶者と分けられるなら、累進の高いところに一人で乗るより負担が下がることがあります。利益が大きいほど効果は出ます。
法人化で必ず増えるもの
法人住民税の均等割は、赤字でも最低およそ7万円。法人事業税もあります。決算申告は個人の確定申告より重く、税理士報酬も上がる。設立費用も必要です。
いちばん見落とされるもの
社会保険料です。これが美容業では最大の変数になります。
最大の分岐点は社会保険。理容・美容業は「非適用業種」
ここが、美容業の法人化を他業種と決定的に分ける点です。
法人は、事業主が一人だけであっても健康保険・厚生年金の強制適用事業所になります(日本年金機構)。役員報酬を取る以上、そこから保険料が発生します。労使折半といっても、一人法人なら会社負担分も自分が出したお金です。
では個人事業はどうか。個人事業所は常時5人以上を使用していれば原則強制適用ですが、それは法定の「適用業種」に限られます。そして理容・美容業は、そこに含まれていません。いわゆる非適用業種です(厚生労働省「個人事業所に係る適用範囲の在り方について」)。スタッフが何人いても、加入は任意という扱いです。
意味するところは、はっきりしています。個人でサロンをやっているあいだは国民健康保険と国民年金で回している方が多い。それが法人化した瞬間に、自分とスタッフの健康保険・厚生年金へ切り替わる。毎月の固定費が一段上がるということです。
この増加分が、法人化で減る税金を食ってしまうことがあります。食い切ってしまうこともあります。ですから私は、美容業の法人化の相談を受けたとき、税金の比較表より先に社会保険料の試算を出します。順番を逆にすると、判断を誤ります。
誤解のないように書き添えます。社会保険は負担であると同時に、将来の年金額や傷病手当金といった保障につながるものです。「入ると損」という話ではありません。ただ、資金繰りは確実に重くなる。そこを見ないまま法人化して苦しくなった例を、私は見ています。
インボイス登録済みなら、法人成りの免税メリットは消えている
昔ながらのセオリーが効かなくなった点も、もうひとつ。新しく設立した法人には基準期間(2期前)がありません。ですから資本金1,000万円未満なら、原則として1期目は消費税の免税事業者、2期目は特定期間で判定という流れになります(国税庁 No.6531)。「法人成りすれば2年間は消費税がかからない」と言われてきたのは、これが理由です。
ところが、インボイス発行事業者として登録している間は、基準期間の課税売上高がいくらであっても納税義務は免除されません。法人で改めて登録するなら、1期目から課税事業者です。法人成りの旨みが、ひとつ消えている。前提として押さえてください。
なお美容業は、簡易課税では第五種事業でみなし仕入率50%です(国税庁 No.6509)。2割特例が終わったあとの選び方は2割特例の終わりと、次に選ぶ消費税の方法にまとめています。
それでも法人化が効く場面と、設立コストの下げ方
慎重な話が続いたので、公平に書きます。法人化が効く場面は確かにあります。
ひとつめは所得の分散。役員報酬を自分と家族に適正な範囲で配分できれば、負担が下がることがあります。ただし実態のない役員報酬は認められません。ふたつめは採用。求人票に「社会保険完備」と書けるかどうかで応募が変わります。負担と書いたものが、ここでは武器になる。悩ましいところです。
みっつめは多店舗化。金融機関の評価、テナント契約、決算書の見え方。法人が前提になる場面が増えます。よっつめは事業承継。個人事業は事業主が変わればいったん閉じて始め直しますが、法人なら株式と代表者の変更で引き継げます。
逆に、当面ひとりで続けるつもりで、店舗を増やす予定もなく、社会保険の負担増を吸収できるほどの利益も出ていないなら、急ぐ理由は薄い。私はそう考えています。
法人化すると決めたなら、知っているかで金額が変わるものがあります。登録免許税です。株式会社の設立登記は資本金の額の0.7%で最低15万円、合同会社は最低6万円。ここで市区町村の特定創業支援等事業の支援を受けて証明書の交付を受けると、この登録免許税が半額になります。株式会社なら7万5,000円、合同会社なら3万円です(出典:中小企業庁)。
杉並区も実施しています。区の創業相談などを4回以上、原則1か月以上にわたって受けると証明書が交付されます。窓口は杉並区産業振興センターの就労・経営支援係、交付までおよそ1週間。大事なのは順番で、設立の直前に思い出しても間に合いません。開業や資金調達の全体像は杉並区でサロンを開業する場合の全体像、店をつくるお金の内訳は美容室の開業資金の内訳にまとめています。
最後にもう一度。法人化の分岐点を、私は金額で断定しません。所得の額、家族構成、スタッフの人数、社会保険の加入状況、店舗展開の予定、インボイスの登録有無。この六つが揃って、はじめて計算ができます。
法人化の判断でお悩みの方へ、当事務所ができること
当事務所は杉並区の美容業専門。美容室・ネイル・まつげエクステ・エステと、業種ごとに数字の形が違うことを前提に、記帳から申告、資金繰りまでを見ています。
「この経費は入れていいのか」「そろそろ法人にすべきか」。判断に迷ったときにすぐ聞ける相手がいるかどうかで、手元に残るお金は変わります。サービスの詳細はこちら、私のプロフィールはこちらにまとめています。
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